Sponsored Link
第94回(2018年)箱根駅伝
青山学院大学が見事4冠を達成しました!
圧倒的な強さの絶対王者!
やりましたね~
この青学大の強さの秘密は
一体何なんでしょうか?
監督の影響も
めちゃくちゃ大きいのではないでしょうか?
という事で今回はこの
箱根を4冠に導いた青山学院大学の
監督「原 晋」について取り上げてみたいと思います。
読みたい場所へジャンプ
■青山学院大学の監督 原晋ってどんな人?
氏名:原 晋(はらすすむ)
生年月日:1967年3月8日 (51歳)
出身:広島県三原市糸崎町
高校:広島県立世羅高等学校
高校所在地: 〒722-1112 広島県世羅郡世羅町本郷870
アンガールズの田中の出身校でもあります(笑)
大学:中京大
元就職先:中国電力
幼少期は活発な少年で、小学校から野球や相撲など
運動は万能だったそうです。
そんな彼が小学4年の頃、事故により足を骨折し入院する事に・・。
これを機にリハビリを兼ねて、
ジョギングを始めたのが陸上競技との出会いだったそうです。
中学では陸上部(長距離)に入ると、中1のマラソン大会では
2・3年生を抑え、校内1位に!
そして高校に進むと、3年の時には
キャプテンとして全国高校駅伝2位に貢献しました。
その後、中京大学に進学し3年時に
日本インカレ5000メートル3位の成績を収めます。
大学卒業後は中国電力に入社。
陸上部を創設し、ここでもキャプテンとして
全日本実業団駅伝初出場に貢献しました。
しかし1年目にして故障、
5年目、27歳の時に選手生活を引退します。
■原晋はサラリーマン時代どんな人だった?
選手引退後は中国電力でサラリーマン生活を10年程送ります。
同期が本社で活躍する中、配属されたのは支店。
山口県徳山市の営業所でした。
ここで省エネ空調設備「エコアイス」販売の営業マンとなります。
屈辱をばねに、企業用の1000万近いこの空調設備を
ジャンジャン売りまくり、
気付けば、社内で売り上げ一番。
評価を上げて、新規事業も立ち上げたそうです。
「伝説の営業マン」
と呼ばれていますよね!(笑)
■原晋が青山学院大学の監督になったのはいつ?
青山学院大学陸上競技部監督に就任したのは
2004年から。母校の世羅高校関係者から誘われて
就任を決めたそうです。
原晋自身、箱根駅伝出場の経験はないし、
出場校のOBでもない。
また、青学大も箱根駅伝に出ていなという事で、
選手のスカウトの際には苦労したそうです。
一時期は長距離部門が廃部寸前になった時期もあったそうです。
そんな中、
「あと1年! あと1年でいいからやらせてください!」
と訴え見事33年ぶりの「箱根駅伝」出場を勝ち取ることができたのです。
今や箱根4連覇を成し遂げました。
これはスゴイ功績ですね。
さすが元、伝説の営業マン・・・ですかね?
Sponsored Link
■原晋監督の何がすごいの?
原監督のコンセプトは「明るさ」を保つこと。
テレビを見ているとチームのメンバーの
表情はいつみても明るいですもんね。
原監督自身もニコニコして
雰囲気が明るくて楽しそうでなんかいい感じですよね(笑)
監督が選手をスカウトする際、
自分の言葉で表情豊かで、笑顔で目標を語ってくれる人材を
選ぶそうです
そういった選手が増える事で、チーム全体の空気が
良くなり、ツライ練習にも耐える事が出来て、
結果的にチームが強くなって行くんですね。
確かに練習がつらくて、チームの空気が澱んでいて
暗買ったら、頑張る気力もなくなってしまいますもんね。
原監督のスゴイ所は、この選手たちのやる気を引き出すのが
とってもうまい!ことの様ですね。
■原監督の著書は?
・魔法をかける アオガク「箱根駅伝」制覇までの4000日
魔法をかける アオガク箱根駅伝制覇までの4000日【電子書籍】[ 原晋 ] |
・逆転のメソッド 箱根駅伝もビジネスも一緒です
逆転のメソッド箱根駅伝もビジネスも一緒です【電子書籍】[ 原晋 ] |
・フツーの会社員だった僕が、
青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉
フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉 [ 原晋 ] |
■まとめ
青山学院大学を常勝チームに導いた
名監督!原晋。
本当にすごいですね!
今後の日本のマラソンの為にも
今まで同様、是非頑張ってもらって
いい選手をたくさん育てて欲しいですね。
東京五輪が待ち遠しいですね!(笑)
期待してますよ~
原晋監督~!!!
Sponsored Link
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
この記事へのコメントはありません。