Sponsored Link
大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
舞台は奄美大島に移り、
ますます目が離せなくなってきましたね~(笑)
今回、二階堂ふみ演じる
とぅま(愛加那)が
西郷どんに言った言葉
「私をあんごにしてください」
ん?
あんご?
ってなに?
こう思ったのは私だけ・・・?
みんな知ってたのかな?
という事で今回は
ちょっと気になる奄美の
「あんご」の意味や制度(決まり)
について調べてみたいと思います。
「あんご」の意味は?
あんごとは「島妻」
つまり
奄美の島にいる間だけ
妻になるという
薩摩藩の藩法に元ずくものです。
藩法っていうからには
何か守らなければならない
決まり事でもあるのでしょうか?
あんご「島妻」の制度とは?
あんごには以下の様な
決まりごとがありました。
◎あんご「島妻」を薩摩に連れて帰ることはできない!
◎あんご「島妻」との間に生まれた子は、
薩摩に連れて行き、教育を受けさせることができる!
◎あんご「島妻」との間に生まれた子が男子の場合、
郷士とすることができる!
※郷士とは「武士と同等の階級」
◎扶持米をもらうことができる!
※扶持米(ふちまい)とは、支給されるお米の事。
何もしなくても薩摩藩からお米が貰えるって事ですね。
貧しい貧しい島の暮らしの中で、
あんご「島妻」という地位は
とても魅力的だった様です。
お米が貰えるし、男の子が生まれれば
郷士にする事ができるし・・・
ぜひ娘をあんご「島妻」に・・・
と差しだす親がいても、
不思議ではありませんね。
奄美の島の暮らしはなぜ貧しかったの?
なぜ奄美の暮らしは
そんなに貧しかったのでしょうか?
もともと奄美の島は
「琉球王国」に属しながら暮らしていました。
それが一変したのが、慶長14年(1609年)
薩摩藩、初代藩主の島津忠恒(家久)は
3000名の兵を率いて
奄美大島に進軍します。
その後、沖縄本島に上陸し、
琉球軍(4000名)を制圧。
この薩摩藩による「琉球侵攻」により、
支配がガラリと変わってしまうことになります。
薩摩藩にとって奄美の「サトウキビ」は
金の成る木でした。
その為、全ての平地にサトウキビが植えられ、
斜面にまで段々畑が作られたそうです。
本来、島民の食糧確保のための田畑は
徹底的に削られ、最低限のものしか
作ることができませんでした。
彼らの飢餓を救ったのは、
猛毒を持つ蘇鉄(ソテツ)
その実からデンプンを得て食べていたそうです。
蘇鉄は、面倒な毒抜きをしなければ
食べることすらできないものです。
そんなものまで食べなければならない程、
島津家の圧政は凄まじかったのです。
こうした薩摩藩の搾取は
いつしか「黒糖地獄」
と呼ばれる様になりました。
ムムム・・・
何か本当にムカついてきますね!
とぅまが怒るのも無理ないですね!!
ちなみに
渡辺謙が演じる島津斉彬(しまずなりあきら)は
11代目の藩主になります。
Sponsored Link
とぅま(愛加那)と西郷どんの子供は?
結婚したとぅま(愛加那)と
西郷どんとの間には
2人の子共が出来ます。
まず、万延2年(1861年)、
長男が誕生。
名前は「菊次郎」
この菊次郎、9歳で西郷本家に引き取られ、
12歳でアメリカに留学します。
帰国後17歳で西南戦争に参戦し、
銃弾を右足に受け、膝から下を切断する事に。
その後、アメリカへ再留学、
宮内省式部官、台湾宜蘭県宜蘭庁長官
などの職務をこなし、
明治37年に京都の2代目市長に就任します。
市長辞任後は鹿児島県に帰郷し、
島津家管理の「山ケ野金山鉱業館長」となり、
67歳で他界しています。
二人目は女の子で
名前は「菊草(きくそう)」といいます。
菊草は後に
大山 巌(おおやま いわお)の弟、
大山誠之助の妻になります。
この時、若干17歳。
ちなみに「大山 巌」は
薩摩藩士、日本の政治家です。
この菊草、
夫、誠之助の借金や、家庭内暴力で
長く苦労したそうです。
まとめ
奄美の島の人は
貧しい生活をしいられ、
かなり苦労したんですね・・・。
そんな中、とぅま(愛加那)は
西郷どんのあんご(島妻)となり、
暮らし自体は、多少は楽になった様ですね。
しかし、しょせんはあんご。
西郷どんと長く暮らす事は
出来ませんでしたね。
昔の人は本当に可哀そうでしたね・・・。
Sponsored Link
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
この記事へのコメントはありません。